人や情報の交流!まちの駅はつかいちネットワーク

まちの駅 駅長やってます。洗濯オヤジです。

「まちの駅」とは、地域住民や来訪者が求める地域情報を提供する機能を備え、人と人の出会いと交流を促進する空間施設です。(まちの駅HPより)

 そんなことで、駅長であるこの私も、地域情報にもっと詳しくならんといけないなぁと思ったところです。
 今回は、今まで存在は知ってましたが、ちゃんと全部行ったことのない、おおの歴史の散歩道を案内できるように、まじめに散策してみました。

 おおの歴史の散歩道は、大野市民センター近くの陣場から、中山あたりまでの西国街道に点在する史跡となり、15か所に案内板が設置されています。ただ、おおの歴史の散歩道としての詳しい地図などはないということなので、誰でも迷わず散策できるようなものができたらいいかなと、ブログに書くことにしました。


①歴史の散歩道入口
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大野市民センター近く、新幹線沿いの山側に、おしゃれな散髪屋さんの脇の道から、歴史の散歩道は始まります。

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元々の案内板は、錆びて草むらの中、ちゃんと読めません(^^ゞ


②陣場
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長州征伐の時に、幕府軍が検問所を設けていた場所です。
大野地区には、長州征伐に関連した史跡が他にも多く点在しています。

③高畑溜池
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所々に道案内看板もあります。

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地誌に載っている、大野で最も古い灌漑溜池

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今も使われていて、梅雨時になるとピンクの睡蓮で池が覆われるそうです。

④高畑貝塚跡
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道を100m下ったところに石碑があります。
貝殻や、弥生時代の土器、2000年前の若い女性の人骨などが発掘されたそうです。

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この近くには、親孝行だった孝子久蔵の遺跡もあります。


高畑東貝塚跡
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100m下ったあたりに、史跡らしいものは見当たりませんが、空き地があったのでそのあたり一帯ではないかと思います。昔はそのあたりが海岸線だったようです。

⑥高庭駅家跡・濃唹駅跡
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古代山陽道には、役人の宿泊や乗り継ぎ用の馬を準備する施設として駅家が約16km毎に配置されていたそうです。その一つがここ高庭駅家で、平安時代に駅制改定で、濃唹駅となったそうです。

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天平3年(731年)肥後の国の大伴熊凝と言う18歳の青年が都へ上る途中、高庭駅家で病の為亡くなりました。そのことを伝え聞いた筑前国司の山上億良が青年の心情を述べた歌が万葉集に載っています。
その一つが歌碑に刻まれています。
「出でて行きし 日を教えつつ 今日今日と 吾を待たすらむ父母らはも」

⑦新宮神社
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大野を開墾したと言われる5人兄弟の総領、次郎さんが祀られた神社です。
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この階段、急で足腰が弱ってくると上り下りは結構しんどいと思います
手すりもないので、無理して上ると、下りるの怖いです。

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上には、ちいさな祠がありました。



⑧大野次郎宅跡
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推古天皇の時代、勅命で、太郎、次郎、三郎、四朗、十郎という5人の兄弟がこの地に来て、開墾し農業を始めたのが、この大野の始まりだそうです。その5兄弟の総領、次郎の家がこの場所にあったそうです。
太郎じゃなくて、なぜ次郎が総領なんだろう?
五郎から、九朗は?
なんて思うのは私だけでしょうか・・・・ 

⑨土井貝塚跡
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50mくらい下ってみましたが、とくに史跡らしいものは見つかりませんでした。
高畑東貝塚同様空地があったので、そのあたり一帯ではないかと思われます。


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⑩三槍社

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大野の氏神様の大頭神社には、大田社三槍社、椎宮神社、原神社の4つの末社があります。

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道より高い位置にあるので気づきにくいです。
看板見落として行きすぎちゃいました。


⑪襄ヶ獄遺跡
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弥生式土器がたくさん出土されたそうです。

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300m先の川の西側に広い空き地があるので、そのあたりではないかと思います。


⑫十郎原
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大野十郎が開墾したところとして、十郎原という地名が残っています。



⑬塚の松跡
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一里塚の松が植えられていたところ。
今は松の木は見当たりませんね。
うっかりしていると、見落としてしまう場所にひっそりとあります。
私もバイクで通過して見落としてしまいました。
野球塾の入り口あたりになります。
大野地区の一里塚はこの中山と、塩屋(大野浦駅)の2か所にありました。


⑭今川貞世歌碑

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今川貞世は、足利幕府に仕えた武将であると同時に、当代一流の文筆家でした。
3代将軍、足利義満の命で、南朝勢力が強かった九州を平定するために九州探題として赴任する時の旅の紀行文「みちゆきぶり」に、大野の景色を詠んだ歌が4首あり、この中山と他2か所(大野浦駅・寺屋敷)に歌碑が立てられています。

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とにかくにしらぬ命をおもうかな
わが身をいそじにおほのなかやま
むかしたれかげにもせんとまく椎の
おほの中山かくしげるらん
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大きな椎の木が茂っていたのかな・・・
うーん、よくわかりませんね(^^ゞ


⑮椎の宮
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大野四朗が祀られている神社
椎の木が茂っていたので、椎の宮と親しまれていたそうです。
名前と場所からして、大頭神社の末社、椎宮神社ではないかと思います。

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今川貞世さんの歌碑の歌も、ここの椎の木を見て詠んだのではないかと思います。
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場所は、今川貞世歌碑から海の見える杜美術館に向かって、高速道路下を抜けたらすぐです。


インスタグラムでも史跡巡りやってます。