
まちの駅 駅長やってます。洗濯オヤジです。
「まちの駅」とは、地域住民や来訪者が求める地域情報を提供する機能を備え、人と人の出会いと交流を促進する空間施設です。(まちの駅HPより)
そんなことで、駅長であるこの私も、地域情報にもっと詳しくならんといけないなぁと思ったところです。
そこで、観光協会に行ってこんな冊子もらってきました。
これを見ながら、最近いろんな史跡を巡っているところです。

店舗にもこの冊子置いているので、ご自由に持って行ってくださいね。
そして今回は、これも存在は知ってましたが、どこから行くのか道さえしらなかった、戦国武将で、お茶の流派の祖でもある上田宗箇さんの遺髪塚へ行ってきました。
大野浦駅からだと入口まで徒歩で約10分くらいです。
こちらから、山の中に入って行きます。

山の上も綺麗に管理されていて、迷うこともありません。

遺髪塚手前には、上田家代々のお墓もあります。

どれも立派なお墓でした。

さらに階段を上り

この看板のところで右へ
遺髪塚が見えてまいりました。

88歳で生涯を閉じた上田宗箇。
遺言によりこの地、串山で火葬されて
遺骨は大野瀬戸に流されたそうです。

そして山上のこの地に、遺髪を埋め塚としたそうです。
当時の武人の慣わしとして、松が植えられています。
(初代の松は枯れて、今は2代目の松だそうです)
遺髪塚の奥には

奥さま、地徳院の墓もありました。

山の上からは、経小屋山や

宮島などもよく見えました。

上田 重安(うえだ しげやす)は、安土桃山時代の武将、大名。江戸時代前期の浅野家の家老。通称は左太郎、主水正。関ヶ原の後に剃髪して宗箇と名乗ったので、上田 宗箇(うえだ そうこ)の名でも知られる。
茶道を千利休ついで古田織部に学び、上田宗箇流の流祖となって、茶人、造園家としても縮景園を作庭するなど業績を残した。また数々の戦で一番槍の功を立てた歴戦の武将でもあった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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